日田市中津江村

大分県日田市中津江村
きれいな水 きれいな空気 きれいな緑
中津江村は人口1300人ほどの、小さな山村です。近所の人たちとは、家族のような付き合い。
お茶作りをする松野 洋さんは、中津江村のことが本当に好きで、いつも中津江村のことを考えています。中津江村は標高が高いので、昼と夜の温度差が大きく、それが、津江茶の香りとおいしさのひみつだそうです。
昭和の始め、鯛生金山が栄えていた頃は、多い時で8000人の人々が中津江村にはいたそうです。昭和46年から農業を始めた松野さん。農業だけでは現代的な生活ができず、雇用の場の創出にと松野さんは、若い人たちがたくさん働ける建設業を始めました。建設業が忙しくなり、いつのまにかお茶作りが副業になってしまったそうです。けれど、ずっとお茶作りを本腰をいれてやりたいという気持があり、建設業の後継者も出来た今、やっと松野さんがお茶作りを本格的にできるようになりました。
中津江村の生き残りは、適地適作
林業と公共事業で栄えてきた中津江村ですが、林業の衰退と、公共事業予算の削減で、働き場が少なくなってしまいました。高齢化も一気に進み、若い人たちは、村を出て行ってしまって中津江村の人口が減りつづけています。
中津江村の生き残りをかけて、松野さんはお茶作りに本腰を入れ始めました。
【茶・椎茸・こんにゃく・ワサビ】
中津江村の気候は、この4つがよく育ちます。
コストをかけて向かない作物を作ることはせず、中津江村に合っているものを作るようにしているそうです。中津江の茶は、標高が高いところで育つので、朝夕の寒暖の差が大きく香りがいいのが特徴です。他の産地に比べれば、生産量も規模も小さいけれど、この香りは、どの産地にも負けません。
松野さんと一緒に活動するお茶部会の仲間60名で、茶園の整備プロジェクトが始まりました。現在、お茶栽培が出来る人は、高齢の方がほとんど。今はまだ元気だからいいものの、この先のことを考えて、機械を導入しました。
そして、昔一緒にお茶作りをしていた人が亡くなってしまって、茶畑が荒れてしまっている土地があります。そんな荒地になっている茶園を、整備していきます。中津江村でも、霜が降りたり、排水が悪くお茶栽培に向いていない土地もあります。標高400~700mのいい土地だけを今は整備していっているそうです。
昔から津江の山にあるお茶の木《在来種》は、とっても香りがいいそうです。この在来種とブレンドした津江茶は、香りも味もいいお茶になります。生産量は、少ないけれどコツコツと作り続けていき、必ず今よりももっと良いお茶を作って、津江茶のファンを増やしていきたいと意気込む松野さん。
津江茶の新茶は、他の産地より少し遅い5月のゴールデンウィークあたりが新茶の季節です。標高が高いので、芽はゆっくり伸びます。
後継ぎと中津江村
津江茶の後継者についてですが、お茶作りをしたいという若者は残念なことに今はいないのだそうです。お茶作りは、5~6年はかかり、その間の収入はゼロ。これじゃ、若い人は生活できません。
けれど、若い人たちの働く場を常に考えている松野さん。今は、地道に茶園の整備をしていき、お茶作りを引き継いでくれる人が出来たときに、参入しやすいようにしていくそうです。
生き生きとした集落が田舎には必要。そには、働く場があることが重要。若い人が生き生き集まる職場が、各集落にあれば、中津江村は、活気が戻ってくるはず。
最近中津江村には、都会から移住してきている人がいます。感じのいい人が多く、中津江村では結構うまく交流が出来ているそうです。
中津江村に残ろうと思う人と、中津江村がいいと集まってくる人たち。お互いのいいところをうまく合わせて、中津江村にはちょっとずつ活気が戻ってきているようです。
中津江村は九州のど真ん中に位置し、九州内を行き来しやすい便利な場所。
将来的には日田と合併するだろうと、松野さんは19年前に、中津江村のアンテナショップ「津江の森」を、中津江村の玄関口である日田に作りました。ここは、中津江村の特産物の販売や観光案内所としての役割を持ちます。「都会の人と交流しながら、求められるものを作っていきたいですね。しかし、こっちが思っているように、相手はなりません。地域作りも会社作りも、何でもおんなじです。」
中津江村とともに、生きてきた松野さん。観光とか商業は、村が生き生きとした集落であればそれにひっついてくるもの。
中津江村のことが大好き。地域のことばかり考えて、役員もいろいろやった。
建設業引退後は、お茶作りをしながら楽しく暮らそうと思っていたけれど、そんなことも言っていられない。働く場所がある地域には、人が集まってくる。中津江村を何とかしようと、ギラギラしているんですよ!と熱い松野さんです。




















